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宇都宮地方裁判所 昭和39年(ワ)24号 判決 1969年9月30日

原告 鮎沢邦彦 外四名

被告 株式会社下野新聞社 外一名

主文

被告株式会社下野新聞社は、原告鮎沢邦彦に対し金五〇、〇〇〇円、同久子に対し金五〇、〇〇〇円、同まさに対し金三〇、〇〇〇円及び右各金員につき昭和三九年二月二日よりその支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告邦彦、同久子、同まさの被告会社に対する爾余の請求並びに被告福島寿克に対する請求は、いずれもこれを棄却する。

原告慈子及び同努の被告等に対する請求は、すべてこれを棄却する。

訴訟費用はこれを一〇分しその八を原告等、その二を被告等の各負担とする。

この判決は、主文第一項に限り仮に執行することができる。

事実

原告等訴訟代理人は「一、被告等は連帯して、原告鮎沢邦彦に対し金三、〇〇〇、〇〇〇円、同鮎沢まさ、同鮎沢久子に対し各一、〇〇〇、〇〇〇円、同滋子、同努に対し各五〇〇、〇〇〇円及び右各金員につき昭和三九年二月二日より各支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。二、被告等は、原告等全員に対し、本裁判確定の日から一ケ月以内に、連名で別紙<省略>内容の謝罪広告を、二段抜き一〇センチ、見出し三号ゴジツク体本文五号、宛名四号の各活字を以て、朝日、毎日、読売、日本経済、産経、東京各新聞の各栃木版、並びに下野新聞に各三日間継続して掲載しなければならない。三、訴訟費用は被告等の負担とする」との判決及び右第一項につき仮執行の宣言を求め、その請求原因として次のとおり述べた。

一、原告鮎沢邦彦は旧制専門学校を卒業し、現に栃木県県税事務所に勤務し、原告久子は邦彦の妻、原告まさは邦彦の母、原告慈子、同努はそれぞれ原告邦彦夫妻の間に生れた長男、長女であり、いずれも肩書地で同居している。

被告会社は、関東一円で有力な日刊の地方新聞「下野新聞」を発行し、主として栃木県下をその販路とし、被告福島寿克は、編集局長として右新聞編集の最高責任者たる地位にあり、訴外小林孝は社会部長の職にあり、訴外杉山幹夫は、新制高等学校を卒業し、現に社会部記者として被告会社に勤務している。

二、ところで、原告邦彦夫妻の間には、前記原告慈子及び同努のほか、昭和三八年八月五日、二男次郎が生まれたが、同人は、生来兎唇であり、また狼咽であつたため、同月一二日より同月三一日までの間、並びに翌九月一八日より翌月二一日までの間の二回に亘り、国立栃木病院に入院して手術をうけた。その結果兎唇については完全に縫合されたが、狼咽については手術が不完全のため、一〇月一八日またまた入院手術をうけることになつていた。

このような事情で、次郎は哺乳が困難な状態であつたが、昭和三八年一一月二九日、原告方住居二階で就寝中、原告等家人の知らぬ間にミルクを嘔吐し、これが気管支に入り、外気道を塞ぎ、同日夜窒息死するに至つた。

三、被告会社の社会部記者杉山幹夫は、次郎の頓死をいちはやく聞知して早速取材活動を開始したが、当時杉山は一八歳で、記者として六ケ月の経験しかなかつたこともあつて、不注意にも事の真相について充分な調査をせず、臆測によつて左記記事内容のことを社会部長小林孝に報告し、同人も、杉山の報告を鵜呑にして原稿を作り、整理部にまわした結果、昭和三八年一二月一日附下野新聞第二面九段、一〇段目左側に、二段抜きで、左記内容の如く、「口を押えて殺す?」と、ことさらに興味本位の虚構の見出しをつけ、次郎の前記の生来の不具を悲観して、原告等「家族の誰かが次郎ちやんの口や鼻をおおつて殺した」と書き、殺害の動機、方法を具体的に書き、読者をして、恰かも原告等同居の家族の誰かが手を下して次郎を殺害したかの如くうけとらせる、内容虚偽の報道をすることになつた。

左記

口を押え殺す?

えい児変死 近く家族調べる

宇都宮市操町、栃木県税事務所勤務鮎沢邦彦さんの長男次郎ちやん(生後三カ月)が二十九日夜八時半過ぎ、急死したと同夜国立栃木病院から宇都宮署へ届け出があつた。宇都宮署では三十日、黒須警察医の執刀で次郎ちやんを解剖したところ、外傷はなく、内臓にも異常がないところから窒息死した疑いが濃くなつた。

このため同署でも捜査を開始したが、これまでの調べだと次郎ちやんは生まれながら口の形がかわつており、これを悲観して家族のだれかが次郎ちやんの口や鼻をおおつて殺した疑いが強まつており同署も近く家族を取り調べることになつた。

なお最初に次郎ちやんの死体を見た国立栃木病院では次郎ちやんは二十九日夜「容体がおかしくなつた」と鮎沢さんにだかれて病院へかけつけたものだが、すでに死亡していたため宇都宮署へ連絡したといつている。

四、ところで原告等は、次郎の生れた後、一家をあげて次郎の手術の成功を信じ、同人への愛情から肉体的にも経済的にも大なる犠性を払つて育てて来たのに、前記のように急死したというのが真相であつて、被告会社の不実の報道により大なる精神的苦痛を味わわされた。即ち、原告邦彦は昭和三八年一二月四日、勤め先の上司から事件についてただされるなど、公務員としていたく名誉と信用を傷つけられ、原告久子は、世人から母としての愛情を疑われ、その名誉と信用(不動産会社の役員をしていた)を傷つけられ、原告まさも、前記のように殺人容疑者としての汚名をうけて名誉と社会的信用(久子と同じく不動産会社の役員をしていた)を甚だしく傷つけられ、原告慈子(当時満七歳小学校一年生)及び同努(当時満二歳)は、弟殺し或は殺人者の子として報道され、終生拭うことのできない汚点をつけられ大なる精神的打撃をうけた。

五、以上の次第で、編集局長被告福島寿克は編集の最高責任者として前記不法報道によつて原告等のうけた精神的打撃を慰藉する義務があり、また被告会社は前掲杉山記者、小林社会部長、及び被告福島寿克の使用者として慰藉の方法を尽す義務がある。而してその慰藉の方法として被告等に対し、原告邦彦は金三、〇〇〇、〇〇〇円、同まさ及び同久子はそれぞれ金一、〇〇〇、〇〇〇円、同慈子及び同努は各金五〇〇、〇〇〇円、並びにこれらにつき本件訴状送達の翌日たる昭和三九年二月二日より支払ずみまで年五分の割合の損害金を連帯して支払うことを求め、あわせて、本判決確定のときから一ケ月以内に、朝日、毎日、読売、日本経済、産経、東京の各新聞の栃木版並びに下野新聞に各三日間、別紙の内容の謝罪広告を掲載すべきことを求めて本訴請求に及ぶ。

以上のとおり述べ、被告等の抗弁に対し、取材に当つた杉山記者及びその直接の上司小林社会部長が、警察当局及び黒須警察医より本件記事のとおりのことをきいてこれを記事にしたとの主張事実は否認すると述べた。立証<省略>。

被告等訴訟代理人は、原告等の請求を棄却する、訴訟費用は原告等の負担とするとの判決を求め、答弁及び抗弁として次のとおり述べた。

原告主張の事実中

一(邦彦の学歴を除く)は認める。

二のうち、次郎が生来兎唇狼咽であつたこと及び同人が原告等主張の日に死亡したことは認めるが、死因は否認する。その余は知らない。

三のうち、被告会社が昭和三八年一二月一日附の下野新聞朝刊第二面九段、一〇段目左側に、原告等主張の見出しを附して、原告主張の内容の記事を掲載したことは認めるが、これに先だつて杉山記者及び小林社会部長が本件について充分な調査をしなかつたという点は否認する。

四は知らない。

なお、本件記事は、被告会社の社会部記者杉山幹夫が、次郎が国立栃木病院に運ばれた当時、夜勤で宇都宮警察署に取材に行つた際これを聞知し、逸早く取材活動を始め、捜査当局、及び解剖担当の警察医黒須周作に真相をただして知り得たことを、被告会社の小林孝社会部長に報告し、同人も亦袖山刑事官に電話で照会した上、何らの潤色もせずに記事にしたもので、被告等に不法行為責任はない。

即ち、栃木県警察本部鑑識課保存の嬰児殺人被疑事件現場写真記録には、事件の概要として、「被害者は、俗に三ツ口と称する口唇の変型で出生し、医者の手術をうけたが、更に狼咽と称する奇型があり、殆んど手術不可能の症状で完全児として生育できない状況である。これをうれえて家族の者が殺害したものと推定される。」とあるが、当時即ち一一月三〇日午前中解剖が終り、その結果報告があつて、袖山刑事官、福田、生田目両警部補等は、右報告と、当時の状況に基づいて右記録に記載されたような推定に達して捜査に着手し、袖山刑事官らは、杉山記者の質問に対し、予じめ記事と同じ内容のことを答え、また解剖に当つた黒須警察医も、杉山記者に対し、外傷はないが窒息死であり、狼咽でもあり、死因に疑いがあるといい、口を手で押える動作をして、「口のあたりを手で押えたらしい」と述べたもので、本件記事が、杉山記者の創作に基づくものでないことは明白である。現に昭和三八年一二月六日の朝日新聞栃木版も「乳児の死因に不審」との見出しで、被告会社の前掲記事と大同小異の内容の報道をしている。

ところで新聞の使命は、刻々に国の内外に生起するあらゆる重要な事象を大衆に速報してこれを啓蒙し、以て国家社会の文化の発展に寄与するもので、右の速報する事象の中に犯罪に関する事象も含むことは当然である。したがつて、特定人の犯罪事件として報道したことが真実であつたときは右のような新聞報道の公共的性格からして当然免責され仮りにその記事が真実でなかつたとしても、報道機関において充分な調査をとげた結果であるならば、これまた不法行為責任を免責されるものである。而して前記のような被告会社の杉山記者及び小林社会部長等の取材の経緯に徴すれば、当時の状況下で報道機関として要求される取材上の注意はこれを尽しているので、犯罪の真実性の証明がなくとも、その不法行為責任を問われる筋合ではない。

以上のとおり述べた。立証<省略>。

理由

一、原告邦彦の二男次郎が昭和三八年一一月二九日窒息死したことについて、被告会社が、その発行する日刊新聞「下野新聞」の同年一二月一日の朝刊第二面左側九段、一〇段に、原告主張の内容の記事を掲載して報道したことは当事者間に争いがない。

右の記載によれば、本件記事は、見出しに「口を押え殺す?」とあり、文中「次郎ちやんは生れながら口の形がかわつており、これを悲観して家族の誰かが次郎ちやんの口や鼻をおおつて殺した疑いが強まつており、同署も近く家族を取調べることになつた」とあり、その内容において、宇都宮警察署の捜査当局が原告等家族の誰かが次郎を殺害した疑いを強めている旨を報道した記事であることは一読して明かである。

二、その体裁及び内容により真正に成立したと認める甲第二号証、成立に争いのない乙第三号証、及び乙第四号証、証人杉山幹夫、同小林孝、同生田目安雄、同川俣栄、同袖山誠、同中村努の各証言及び同黒須周作、同福田芳男の第一、二回証言を綜合すると、被告会社社会部記者杉山幹夫は、昭和三八年一一月二九日偶々夜勤にあたり、同日午後八時半頃、取材のため宇都宮警察署に詰めていたところ、恰かも市内の栃木国立病院から死亡した嬰児が担ぎこまれた旨の変死の電話による届出があつたため、早速病院に直行し、検視のため臨場していた生田目警部補に事件の内容についてたづねたところ、解剖をしてみないと何とも云えないとのことであつたこと、翌三〇日午前、宇都宮警察署当局は被疑者不明の殺人被疑事件として立件し、犯人及び証拠を捜査すべく鑑定処分許可令状の発付を得、同日午前一〇時より約五〇分にわたり、福田芳男捜査第二課長等立会の上、医師黒須周作方において、同医師の執刀により解剖が行われ、その結果次郎の直接の死因は窒息死と判定されたこと、同日午後杉山記者は黒須医師方に行き同人より次郎の死因が窒息死であるときき、これと前後して、宇都宮警察署において、前掲袖山刑事官及び福田捜査第二課長等からも同様のことをきいたこと、並びに小林孝社会部長は、前掲一一月三〇日の夜、杉山記者よりの報告をもとにして前掲の本件記事を起稿し、翌一二月一日の新聞に掲載すべき記事の締切時間の午後一〇時以前に整理部にまわし、その結果、翌一二月一日の「下野新聞」紙上において本件記事として報道されるに至つたことが各認められる。而して前掲証人袖山誠の証言及び同福田芳男の第一、二回証言によると、当時捜査当局内部の見方としては、次郎が生後三ケ月余の嬰児であつたところから自殺の線は考えられないとし、次郎が前掲の如く、生来不具であつたところから、これに悩んでいた家族の誰かが、故意に或は過つて次郎を死に至らしめたということも、ばあいによつてはありうるとみていたことが認められるが、このような内部的な一応の見方を黒須医師及び前掲捜査官袖山刑事官、福田芳男警部等が杉山記者に答えた旨の被告等の主張事実については、同旨の前掲杉山及び小林証言は、前掲袖山、福田証言と対比して考えると直ちにこれを肯認することができず、他にこれを認めるに足る証拠はない。したがつて本件記事中、「これまでの調べだと次郎ちやんは生れながら口の形がかわつておりこれを悲観して家族の誰かが次郎ちやんの口や鼻をおおつて殺した疑いが強まつており……」の部分は、杉山記者及び小林社会部長が、当時の他の事情からしかく推測したものとみるほかなきものである。尤もその後に続く「同署も近く家族を取り調べることになつた」の部分については、捜査当局は、前掲のように、被疑者が原告等家族中にありうると考えて既に殺人被疑事件として立件して令状による解剖をすませ、次郎の葬式の終つた後、原告邦彦及び同まさの出頭を求め、いわゆる参考人として取調をしたことが前掲第二回福田証言により明らかであるから、本件報道前後の事情と符合しているものというべきである。

三、以上の認定によると、前記記事中、「捜査当局のこれまでの調べだと次郎ちやんは生れながら口の形がかわつており、これを悲観して家族の誰かが次郎ちやんの口や鼻をおおつて殺した疑いが強まつており……」の部分は、直接取材活動をした杉山記者及び記事を起稿した小林社会部長の、当時の取材した資料をもとにした推測に基づくもので、偶々「口や鼻をおおつて」の部分以外は、捜査当局の一応の推測ないし見方と大綱において一致していたことが明かである。(他殺による窒息死という以上、右の「口や鼻をおおつて」とある部分も、窒息死の原因の推測としては甚だしくかけはなれた推測ということもできない)。したがつて、問題は、このようなばあい、報道機関の取材した資料によつて推測したところと捜査当局の秘匿していた「見込み」ないし、「一応の推測又は推定」とが偶々一致していたばあい、その報道は適法といいうるかどうかにある。

ところで、新聞の社会的使命は、国の内外に生起する事実を迅速に報道し、以て国家社会の文化の向上発展に資することにより公益を図るにあり、その報道さるべき事象の中に犯罪被疑事件も含まれることは当然である。したがつて、新聞の右のような社会的使命に鑑みるとき、一般に、特定の人に対する犯罪被疑事件の報道によつてその人の名誉を毀損する結果となつたときでも、新聞社において、その報道内容の真実性を立証したばあい、或はその立証のないときでも、新聞社側でその真実なりと信ずるについて相当な理由のあるときは、過失なしとして不法行為責任を問われないとされている。しかしながら上記の原則は、特定の人が或る犯罪行為をしたとして報道されたばあいに関するものであつて、本件のばあいの如く、「家族の誰かが手で口を押えて殺した疑いが強まつている」というが如き、殺害の事実を断定せず、窮極において単にその蓋然性があることを肯定する記事を公表したようなばあいは、上記原則適用前の問題としてなお検討を要する点が存する。被告等はこの点に関し、先ず本件記事内容、即ち、被告等家族の誰かが次郎を殺害したことは真実であり、かりに真実でないとしても被告側においてしかく信ずるに相当な理由があつたから報道上の過失はない、しかも、報道の実際においては、断定的な表現を差し控え、乳児の死因に疑いがあり、捜査上一つの疑問あるようだとし、控え目な見出しと記事内容にして、あくまで疑問を投げかけるという表現方法をとつて慎重を期したものであるから本件報道に違法はない、現に次郎の急死を報じた昭和三八年一二月六日附の朝日新聞の朝刊栃木版記事も、その内容において本件記事と大同小異である、と主張する。

しかしながら、成立に争いのない乙第一号証によれば、右の朝日新聞の記事は、「幼児の死因に不審」との見出しで次郎の急死の事実を報じ、更に解剖の結果、宇都宮警察署は、次郎が「口か胸を押えられて殺されたのではないかという疑問が出たため捜査を始めたもの」と書き、被疑者の名前については何等ふれるところがなく、而も原告等については、「宇都宮市操町地方公務員Aさん夫婦」という表現をし、次郎についても「男の赤ちやん(生後三ケ月半)」というのみでこれを明示していないなど、全文を通読すると、記事内容につき相当慎重な配慮をしたあとが窺われるので、これと本件記事の内容を同日に論ずることは到底できないことを先ず指摘しなければならない。

思うに、特定の人、又は特定の範囲の人について特定の犯罪を行つた疑いありとする報道は、結局犯行の蓋然性のあることを報道するもので、それが蓋然性あるにとどまる以上、必ずや逆に犯罪を行つていない蓋然性をも当初から予想すべきものである。ことに犯行の蓋然性の高まつていない「見込」ないし「一応の推測又は推定」にとどまる段階においては、なお然りといわなければならない。即ち、この種の記事は、その性質上常に当初から不実に終る危険性をはらむものというべきで、このようなばあいにもなお、その蓋然性の程度に応じて、これに見合うだけの理由ないし根拠のあるときは、後日それが不実であつたと判明しても何ら責任を問われないとすれば、真否不確実な犯罪被疑事件でも、それが「不確実な情報」として疑問の余地を存しつつ報道される限り常に報道機関は免責されることにならざるをえない。而もこのような報道は、一般人の注意と読み方を以てすれば、その人が特定の罪を犯したとして猜疑と疑惑の眼を向けられるであろうことは、経験則上容易に首肯しうるところであつて、かくては、特定人の犯罪と断定して報道されたばあいと結果においてかわりないことになりかねない。このような結果が憲法第二一条の表現の自由の名の下に許されるとするならば、報道機関の暴もきわまれりとの非難を免れられないであろう。

以上の理由によつて当裁判所は、この種の報道は、たとえ報道機関において特定の人が罪を犯したことの蓋然性ありとするに相当な理由(換言すれば、蓋然性に見合うだけの根拠)があつたにしても、報道機関においてその真実なることを証明するか、これをしないまでも、しかく信ずるにつき相当な事情の立証をしない限り、当該事件の捜査当局が公表するなどの特別な事情がなければ、これを以て免責できないと考える。ことに本件においては、前掲認定のとおり捜査当局の嫌疑は、蓋然性といつてもいわゆる「見込」ないし「一つの見方」にすぎず、極めて程度の低いもので、しかも、被告側においてその真実なることの証明をせず、真実なりと信ずるにつき相当な事情のあつたことについての立証も尽さないばかりでなく、その他捜査に当つた宇都宮警察署当局がこれを公表し、或は同警察署所属の捜査官がこれを杉山記者或は小林社会部長に明かしたことも証拠上肯認できないので、結局本件記事は違法な報道とならざるを得ず、よつて原告等の受けるべき損害について、杉山記者及びその監督者であつて本件記事の原稿を作成した小林社会部長は、右の違法な報道の直接の責任者として、また被告会社は右両名の使用者として、よつて原告等の受くべき損害について賠償の責を免れない。

尤も、被告福島寿克については、証人小林孝の証言によると、被告会社の事務分掌上、社会部関係の記事の原稿は全部小林社会部長のもとに集められ、同人がこれを検討して報道上不充分な箇所があれば更に調査を命じ、同人の判断で整理部にまわす仕組になつており、時にこれを編集局長に見せることもあるけれども、これまた小林部長の判断に委ねられていたこと、並びに昭和三八年一一月三〇日頃、被告福島寿克は出社していなかつたため、本件記事掲載には全く関与していなかつたことが認められるので、単に同人が被告会社の組織上編集の最高責任者であるというだけで、本件違法報道の責任を負わすことはできない。

四、よつて次に原告等のうけた損害について考える。

前掲の如く、本件記事においては、被疑者名を明かにせず単に「家族の誰かが将来を悲観し、次郎を殺した疑い」が強まつている、と表現しているが、当時の原告方の家族は原告等五名(但し原告慈子及び努は訴外鮎沢ともと養子縁組をしたが、とも死亡により原告邦彦が両名の後見人に就任)であつたから、原告邦彦、その妻同久子、邦彦の母原告まさが右の記事にいう被疑者たる「家族の誰か」に該当するというべきで、右記事によりいずれも殺人被疑者としての蓋然性を肯定されたというべきであるが、原告努は当時年齢満一年余であり、原告慈子は漸く小学一年生であつたから、本件記事により、両名を知れる読者より、両名が次郎を殺害した疑いありとしてうけとられることは経験則上考えられないところである。この意味において、原告慈子及び努の両名は本件報道によりその名誉を害されることはありえない。ただ原告慈子に関する限り、両親が子殺しの疑ありとされたために、その子として相当なる精神的苦痛を味わわされた旨の主張は一応これを首肯することができるが、右は元来、その親が殺人被疑者とされその名誉がそこなわれていることに基因するものであるから、後記の如く、その親の名誉回復のための相当なる措置が認容される以上、これによつて原告慈子の精神的苦痛もいやされる性質のものである。故に原告慈子及び同努の本件請求は理由がないことに帰する。

ところで、原告邦彦本人尋問の結果によると、同人は旧制専門学校を卒業し、原告久子及び同まさはともに不動産会社の役員をしていることが認められ、また原告邦彦は栃木県県税事務所に地方公務員として勤務していることは当事者間に争いがなく、これらの事実のほか、本件証拠によつて認められる諸般の事情を考慮するとき、被告会社のなすべき慰藉の程度としては、原告邦彦、同久子に対し各五〇、〇〇〇円、同まさに対しては三〇、〇〇〇円の支払をなすを以て相当とする。なお謝罪広告については、現に事件が宇都宮警察署において継続捜査中の扱いとなつていて、まだ被疑者及び被疑事実の存否について捜査機関として結論が出されていないこと、その他本件証拠により認められる諸般の事情を考慮し、これが請求を認容することは相当でないと認める。

五、以上の次第で、原告邦彦、同久子、及び同まさの被告会社に対する各請求は、前項判示の範囲で理由があるからその範囲内でこれを認容し、その余の部分及び被告福島寿克に対する請求は失当として棄却すべく、原告慈子及び同努の被告両名に対する各請求については、ともに全部その理由がないのでこれを棄却すべきものとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を各適用して主文の如く判決する。

(裁判官 小木曽茂)

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